外人住宅に暮らす

2017.05.23 Tuesday

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    沖縄では、高台にある外人住宅に住んでいる。(写真のような物件ですが、これではないです)コンクリート製の素朴な作りで、来沖して以来、三度転居したうちの二度は、外人住宅である。もともとペットが多く、それなりの広さを探していたのが、外人住宅に辿りついたきっかけで、まあまあ気に入って、ずっと外人住宅で暮らしている。難をあげれば、いくつかあるが、何よりも立地が気に入っていて、高台からの眺めは代え難い。沖縄といえば、リゾートをイメージする方は多いと思うが、住んでみるとそういう感じはほぼしない。もともと国が違うので、異文化を感じることもたまにあるが、日本の一地方都市に住んでいるというぐらいの感じしかしない。とはいえ、僕が暮らす本島中部はアメリカからの住人も多く、息子の近所の友達は、半数は外国人である。リゾートに住んでいるというよりも、半外国にいるような感じの方がリアルだ。今年は、出張が多く、実際沖縄で過ごす時間は、月に一週間ほど。もはや住んでいるというよりも、滞在しているといった感じだが、やはりここに戻ってくると、湿度と温度と香りに、ほっとする。外人住宅の無国籍な造りもあって、僕の根無し草的な性分ですら、休ませてくれる。ここで過ごしている間に、さあ次は何をしようか、何処へ行こうかという、若い気持ちになるのだ。住む場所から背中を押してもらえるというのは、幸運なことかもしれない。呼吸は深く、心は軽く。僕を縛るものなど何もない、とここから空を見上げるたびに、そう思う。

    SIGMAの広報誌SEIN

    2017.05.21 Sunday

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      カメラ業界でもその独自性で名を馳せるSIGMAさんの広報誌SEINの表紙巻頭を担当させていただいた。もともとコンパクトカメラであるDP2メレルを愛用していたのだが、ちょっとした偶然が重なって、同社のカメラを使わせていただく機会を得てからずっと手元にある。フォビオンという名のセンサーは他社にはない表現性を持っていて、それが欲しい時には代えのきかないカメラとして重宝している。山河草木を撮る時の描写は特にお気に入りなのだが、人物撮影に今回使ってみて、その適正も確認できた。本来SEINはSIGMAさんの会員向けの冊子なのだが、写真量販店の店頭などにも置いてあるので、ぜひ手にとっていただきたい。できあがったSEIN12号を手にしながら、そこに写っているものを改めて見つめていると、写真の時間を止めてしまう力を、今更ながら不思議だなあと思う。そこに写っているのは過去の時間であって、もう二度と帰ってこない。草と森と人物。とてもとてもさり気ない撮影の結果として残っているのは、しっかりとした存在感であり、対象自体が、撮影者や被写体自体からも忘れられてしまう記憶に、ささやかな抵抗を試みているかのようだ。僕たちは、覚えていることよりも忘れてしまうことの方が多い。きっとそれでいいのだろうけど、この事実は時に、ただ、ただ、切ない。切られた髪もやがて伸び、元の長さを取り戻す。枝はやがて新しい蕾を宿す。その変化や回帰の果てにある幸福を願ってやまない。

      初夏に新宿御苑

      2017.05.20 Saturday

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        二日酔い気味の頭と共に地下鉄に乗って新宿御苑にやって来た。見頃の薔薇目当てだ。午前だというのにすでに沢山の人が訪れている。夏日の日差しも休日に開放感を与えているようで、目を細める人々の声は明るい。御苑は十代の頃から通っている場所で、大抵は一人でぶらりとやって来る。記憶の中では冬の場所であり、人気のない曇天の下で、白い息と共にある。冬の公園の静寂が好きで、ここで僕は多くを感じ考えてきた。あれから沢山の冬が過ぎて行き、いつの間にか夏になっていることにも繰り返し気づいて来た。これはこれからも繰り返されていくのだろう。冬の公園も夏の公園でも、僕はそれぞれの季節を一人で確認するのだろう。家族連れや、恋人たちが、思い思いに薔薇を楽しんでいる。気温はさらに上がるだろう。夕方には涼しい風が吹くだろう。二日酔いはもうすぐ引くだろう。

        kapitalの帽子

        2017.05.19 Friday

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          せっかく岡山まで来たのだからと、KAPITALの本店へと出向いた。昔の図書館を改装したという店内の雰囲気も素敵で、予定よりも長居となってしまった。夏に向かう暑さを感じる日であったから、ちょうど被っていたコットンの帽子が重く感じられ、リネン素材のものはないだろうか、と目を移らせていると、そこにちゃんとあった。紫、青、緑、生成りを代わる代わる被ってみては、店員さんに意見を聞くと、この色がお似合いだというので、それに従った。よく分からない時は、見知らぬ人、会ったばかりの人に、決めてもらうのもいい。なまじっか自分を知っている人だと、予めのイメージで判断しがちだし、時としてそれは面白みに欠ける。13枚集めるとパジャマをもらえるという各店のオリジナル名刺を手にして、ご機嫌な足取りで店を後にした。すでに日は落ちて暗くなっていた。新しい帽子というのは、気分が良いものだ。リネンというのも好きな素材だし、キャプとこれを日によって選んで、旅する日々に添えていく。KAPITALは、好きな洋服メイカーの一つであったが、10年くらいはご無沙汰だった。手の込んだ仕様の服や小物の数々は、ぺろりんとした感じで過ごしていたここ最近の自分には少し過剰だったから縁が遠のいていたが、やはり楽しい製品であることを再確認しては、恵比寿に行くのが楽しみにもなった。ちょっと前に通っていた店に、再び戻っていくような循環も、いいものだなと思う。イメージとしては回遊魚である。ぐるりと世界世間を泳いでは、知らぬ前に育った海へと向かい、また去る。そこに意味などあるものか。イギー・ポップのパッセンジャーの出だしのギターリフが、やや、ちんたらとした趣で鳴り始めた。

          鳥取の温泉旅館

          2017.05.17 Wednesday

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            岡山から山を越えて鳥取へとやって来た。宿は、駅から近い温泉旅館丸茂(まるも)さんである。ご主人、若女将、ご友人らの歓待を受け、さらに日本酒瑞泉、鳥取ならではの素材を活かした料理などなど、癒される夜であった。実は日本海沿いの国々が大好きで、遠くに来たような思いと、故郷を訪ねたような思いとが交差する不思議な愉悦を味わえる場所である。なぜだかは分からないが、海が違うからかもしれない。千葉に生まれ、東京暮らし、葉山暮らし、と太平洋から吹く風を受けた年月が長かったせいもあり、日本海は少し言い過ぎるなら、別国の海である。そこに暮らす人々や、育つ穀物などは、見知らぬ土地からのものであり、そこに遠望と近景の混じった不思議な心地がするのだ。温泉旅館の楽しみの最たるものは、やはり入浴に尽きるだろう。さらりとした掛け流しの湯に夜中に一人で浸かりながら、ふううと息を長くとれば、目の前のタイル画には裸婦がある。ルソーの名画を模したものだろうか。淡く柔らかな色彩は美しく、しばし眺めてしまった。思えば、浴場の壁に裸婦が描かれているのを見た記憶はないので、生涯初の経験かもしれない。そんなことまでぼんやりと思いつつの入浴は、なかなか乙なものであった。ご主人の言葉によれば、都築響一さんも気に入っていらした風呂絵だと聞く。さもありなん。丸茂さんは100年の老舗でもあり、館内をぶらりとするのも味わい深いものであった。本日は、朝から活動である。写真を撮り、たまにぼんやりと考え、1日が過ぎていくのである。丸茂の湯を肌に残しつつ、しばしの鳥取である。

            岡山の肉

            2017.05.16 Tuesday

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              久しぶりに肉を堪能した。岡山にて。フードカルチャー誌RiCEでの連載47味の取材で岡山に訪れている。この連載は、各地の郷土料理を訪ねて全ての都道府県を食べ巡るというシンプルなもので、それこそ旨いものばかりを食らうという贅沢な企画である。僕は基本ベジタリアンなのだが、お呼ばれや、会食などでは、なんでも美味しくいただくことにしている。昨夜は岡山市街の「すし亀」さんに寄らせていただき、さあ地魚を!などと気合みたいなものを入れてカウンターに座っていたのだが、そこに差し入れと共に現れた「肉のふくいけ」店主から勧められるままに、寿司屋で肉を堪能する好機に恵まれた。店主である福池さんは、ドイツでの肉の世界大会(呼び名は不正確)で金メダルを5つも獲得した勇者である。その仕事ぶりを舌で確かめることに相成ったわけだが、その受賞作たちであるソーセージ、ベーコンの旨いこと、旨いこと。のけ反ることさえ控えたが、ソーセージの中にモッツァレラチーズを入れたモッツァレラヴルストは、鼻からTKOである。そして、こう言っちゃおしまいなのだが、何でも旨い。福池さんの肉に賭ける情熱、時間、愛、などなどが、そこに腸詰めされていて、甚だ感心した。選りすぐりの地元産の牛、豚、鶏、をしっかりと受け取り、それをしっかりと作り上げる。まだ続く旅の道中だけに買い求めることは後日に回したが、久しぶりにお取り寄せを口にした。さらなる地元産として、豚珍甘(トンチンカン)と、最古の蔓牛とされる千屋牛をも締めにソテーでいただき、寿司屋でよもやの肉祭りとなった。だが、寿司屋のすし亀さんでいただいた、岡山ばら寿司の旨さも忘れてはいけない。二代目小亀さんの人柄は先代譲りか、居心地の良さと美味しさは、次回を思い描かせた。ただいまと言って暖簾をくぐろうではないか。女将の自慢である茶碗蒸しも絶品であった。チーズが入っていて洋風なのである。これらのことは、RiCE次号にて。岡山に、肉のふくいけ、すし亀、ありと心に貼った。

              悲しいということ

              2017.05.15 Monday

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              人は誰でも悲しくなる時がある。傷ついた時、大切なものを失った時、怒られた時、そういった分かりやすい原因もあるのだが、なぜか嬉しくて悲しかったり、悲しさが去るのが悲しかったり、そして訳もなく悲しい時もある。いったい悲しみは何処からやって来て、どこへと消えていくのだろう。自分の心の奥からか、それとも悲しみの池がどこかにあって、そこから水蒸気となり、涙腺へとやってくるのだろうか。それとも、悲しみという透明人間がいて、不意に目の前に現れて、今は悲しくしたまえと指示するのだろうか。僕たちは、悲しみがいつかは無くなってしまうことを既に知っている。朝を迎えてしまった重い悲しみも、夕方には少し質量を減らし、数日、数週間、数ヶ月、数年後には、空気や土に還ってしまったかのように、綺麗に消えてしまうものだ。水が上から下へと流れるぐらいの当たり前だと誰もが知っている。時が解決すると誰もが言う。そしてそれは正しいのだが、やはり思わざるを得ない。悲しみはどこからやって来てどこへと去っていくのだろう。仕事や勉強を熱心しこなし、多くの他人と会話をし、趣味に熱中し、起床就寝を繰り返し、そしていつの間にか静かに去っていく悲しみは、なぜやって来なくてはいけないのだろう。窓から部屋に差す光は、やがて角度を変えて去っていく。常に何かが変わっていくのだと、教えるようにして。変わるというのは、何かを得て何かを失うことでもある。喜びと悲しみを差し替えて、僕たちは日々を巡行する。そこにはシャツのボタンのように悲しみがあって、今の変化を自覚させるために涙を誘うのだろうか。嬉しくて悲しい時も、訳もなく悲しい時も、そして失って悲しい時も。さあ、朝が来たのだ。外へと出ざるを得ないが、きっと今日は青空が悲しいだろう。

              移動の小知恵

              2017.05.14 Sunday

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                移動が多い暮らしなので、ホテルの部屋に自分の趣味を少しだけ足すのが習慣になっている。とはいえ仰々しく嵩張る物は無用で、近頃はポストカードを携行している。美術館の土産売り場などで手に入れ、それを部屋の壁やテレビに立て掛けている。インテリアとして適しているのは、草花や心地良い優しいものになる。内面の闇を現した作品はここでは不向きとなる。根津美術館で求めた鈴木其一の夏秋渓流図は中でもお気に入りだ。無味なる部屋にも突如森が開かれ川が音を立てる。それを眺めるいっときが好ましく、齷齪となりがちな移動生活の小径となって歩みを遅らせてくれる。さて本日の福岡晴天につき、薔薇の撮影に出向きとする。森から花へ。

                常盤響さんのLIVING STEREO

                2017.05.13 Saturday

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                  福岡に新しくオープンしたレコード店living stereoさんに行って来た。と言ってもプレイヤーを持たない僕なのでレコードが目当てではなく、そこで働いている友人を訪ねたのだ。写真家である常盤響さんが福岡に移住して数年。いくつかの顔を持つ彼が今度はレコード店を始めたというのだから、挨拶に行く他はない。場所は天神からほど近く、佇まいは入りやすくて可愛い。もっとオタクの巣窟を想像していたので、カフェのようなそれに近い。開店前後に多忙を極めていて、現在もその最中だというような近況を聞いたりしながら雑談を楽しんだ。常盤響さんはいつも人懐っこい笑顔で同級生のような雰囲気がある。マイペースで暮らす彼と会うと、人は自由に生きられるし、それがいいよなあと思わせてくれる。now hereなどと口にしなくてもいいのだと。一冊一緒にとか、展覧会一緒にとか、そんな口約束をいつものように交わしては雨の福岡を1人夜へといでた。プレイヤー、買おうかな。

                  薔薇の名前

                  2017.05.12 Friday

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                    ショーン・コネリー主演の映画「薔薇の名前」。修道院が舞台の重々しい映画であるが、詳しくは覚えていない。主催する瞑想ワークショップへと代田橋で下車して歩いていると、道が交差して作った中洲的な一画が花壇になっていて、黄色いバラが咲いていた。遅刻気味だったのだが素通りできずに数枚撮った。7のポートレイトモードで背景をぼかして。見事な咲ぶりだが、場所が中洲なので、しっかりと眺められることは少ないであろう。人目を集めていない動植物には特有の野生の兆しがあって、それは町にあって異物として僕に察知される。人目というのは、対象を変質させてしまうので、本来のものを見たければ、人から離れた場所に行くのが手っ取り早いが、実は死角にもそれはポツンとあったりする。見えているが、気づかれていないものたち。彼らは発見されることを待ちわびることなく、巡り合わせに抵抗することもなく、ただそこにあるように見える。これらのことは、花のことではなく、僕の感じ方に過ぎないのだが、考えることは時にうっとおしい。黄色い薔薇に習ってただ揺れている今日でありたい。