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2018.08.20 Monday

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    新しい名刺

    2017.01.31 Tuesday

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    iPhone 7+

    名刺を新しくした。といってもデザインは25年ぐらい一緒で、表に名前、裏に住所電話番号、メールアドレスといった感じだ。去年は朱色文字だったのを、今年は藤色にした。苗字にある藤の色は、好きな色のひとつで、藤を英訳するとwisteriaで、その響きが気に入ってタブロイド写真集のタイトルにもした。また自分が主催する瞑想ワークショップの名前にもwisteria meditationとし、藤が今年のキーカラーとなっている。話がちょっとそれたが、藤色で文字が記された名刺は500枚。これが全て渡っていくのはいつになるのか、多くの出会いを思うと楽しみである。去年版から、裏の情報欄がとってもとっても簡略化され、今やメールアドレスしか載っていない。名刺を交換した時に、裏を見られることも多いのが、相手の方はほぼ決まって、シンプルですねーと笑ってくれる。その笑いの中には苦笑いも混じっているのだが、びっしりと綺麗に役職や住所電話番号などが記された相手のそれと比べると、ちょっと失礼かもなと恐縮することもなくはない。ちょっと偉そうな感じもするだろう。本人はただシンプルにしているだけで他意はないのだが、こういう場面でも常識とそれに対する変化から生じる摩擦というのを見つけては、僕はこれからも小さな、時には大きな摩擦を目にしていくのだろうなと思う。たかだか名刺の話なのだが、挨拶に寄り添う名刺交換という小さな儀式をするたびに、小さな摩擦を繰り返すことは、少なからず日常の色や角度に関わる。あ、やはり大げさだ。事を大きくしてはいけない。つつくように問題を浮かび上がらせてしまうのは、大人気ない。野暮である。そんな小事に、摩擦などという言葉を引っ張り出すのは、顔が下を向いているからだ。上を向いて歩こう、今日も。

    新津保建秀さんの油絵

    2017.01.30 Monday

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    iPhone 7 +

    同世代の写真家・新津保さんの卒展を午前中に見に行ってきた。ここまで読んで、ん?卒展?と思った人も多いと思う。ご存知にように彼はすでに国内外で大活躍している写真家である。その彼が今何を卒業したというのだろう?僕は上野公園を横切って、芸大美術館へ初めて足を踏み入れた。絵画棟の6Fへたどり着くと、ゆっくり見る前にトイレに寄ろうと歩んでいくと、階段付近で掃除機をひきずって作業している人に「冥砂さん!」と声をかけられた。よく見ればその人が新津保さんだった。シャツの上にセーターという姿がお父さんみたいで可愛らしかった。都合1時間ほどは話しただろうか。彼に充てがわれた部屋は大きな窓が気持ち良く、見慣れない上野の風景が眼下に広がっていて、ちょっと遠くに来た気がした。彼は絵画においてヌードがどう扱われてきたかを探りたくて、しっかり一年かけてデッサンを習い、普通に大学院を受験して、2年間油絵を学んだのだ。そういうことをさらりと言うのだが、40半ばでその決断をするというのは、とても清々しい。尊敬というよりも共感した。展示に油絵はなく、わずかに絵の具を紙の上で撫でたような一枚が、写真の隣に置かれていて、その他は映像作品と写真であった。彼の2年間が注がれた作品それぞれには胸を打たれるような感動があった。彼は話しの節々に「探る」という言葉を使った。興味を持った対象ににじりより、探り、作品へと落とし込んでいく。それは芸術家の常に違いなのだが、新津保さんと彼の作品を前にして聞いた「探る」は何よりもの刺激となった。今年は文学に向かうと、会う人ごとに唱えるように伝えていることを、彼にも伝えると、「すごくよくわかる」という返事だった。「写真に真摯に向き合い続けたあとには、写真はやり過ぎてはいけない」ということで二人はうなずき合い、またねと別れた。数多くの偉大な写真家は命を削るように写真と共に生きた。そのことの反対をいう言葉では決してない。二人とも写真を愛している。詰め方が違うということなのだ。さて、卒展を終えた新津保さん、油絵を通った彼の、新しい写真がとても楽しみでならない。

    渋谷という街で

    2017.01.29 Sunday

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    iphone 7 +

    外国人の混じってスクランブル交差点にレンズを向ける。いつもと同じように大勢の人々がかたまりとなって交差点を横断していく。その様子を見つめていると、ふと郷愁のようなものを感じた。十代の頃から多くの時間をこの街で費やしたからだろうか。多くの人や出来事とすれ違い、僕は東京に育てられた。その東京の中でも僕は三十代の始めまで、よくこの街に触れていた。CAVEというクラブがある頃はよく通っていたし、道玄坂を登り切った神泉の交差点に面したマンションに住んでいたこともあり、また服やCD、レコードを買いに、ジムへ、映画館へと、僕は渋谷に絶えず触れていた。この街を愛おしいと感じたことはなかったし、むしろ必要悪のような、腐れ縁のような、どちらかといえば消極的な付き合い方をしていたはずだ。だが、昨夜の夜に外国人に混じって眺めた渋谷に、ふと感じたあの郷愁のようなもの。あれは僕がこの街をすでに離れてしまったことを告げていたのだろうか。振り返るな、から始まる寺山修司の言葉がうまく思い出せないまま、しばらく立ち止まったままの僕に、渋谷は少し疲れた顔で、こっちは大丈夫だ、と言っている気がした。まあ大丈夫なのだろう。多くの人を飲み込んでは、養い、そして送り出す。街が街である以上、その循環があるうちは、大丈夫なのだろう。いらぬ心配など鼻からないけれど、振り返り見る故郷に、人はいつだって少し心配顔を浮かべてしまうものだ。さようなら、で始まる寺山修司の言葉があったはずだが、やはり思い出せなかった。

    飛行機からの空

    2017.01.28 Saturday

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    iphone 7 +

    飛行機では、トイレに立つ利便から通路側に座ることにしている。でもやはり窓の外が気になって、隣の横顔越しに、知らずに眺めていることが多い。隣からしたらしさぞ居心地が悪いだろう。坊主頭のヒゲおっさんが見つめているのだから。 初めて飛行機に乗ったのはいつかなんて覚えていないが、見下ろす地上の街、川、田園の模様を見つめていると、これは神様の視点で人間のものではないな、と畏怖を感じたことは覚えている。飛行機の速度にしてもしかり。これは人間には分不相応な速度だと。厳密に言えば、人間の身体にとっては不相応だと。魂だけならば、瞬時に月の裏側にだって飛び立てるが、身体はもうちょっと制限があるものだから。飛行機の外の風景では、日没の頃、西陽と雲が作る彫刻のような絶景も素晴らしいのだが、青空と白い雲がせめぎ合うような緊張感のある絵を僕は愛している。宇宙の入り口といったような冷え冷えとした無機質さも、すべての感情を排した無垢を感じるし、僕には魂の故郷だとさえ思える。きっと僕は半ば惚けたような顔で外を眺めているのだが、隣の人はいよいよ迷惑だろう。宇宙はそのことをどう思っているのかな。

    成長するということ

    2017.01.27 Friday

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    SIGMA sd Quattro 30mm1.4f

    龍之介も11歳になった。東京で生まれ、神奈川・葉山、沖縄で育った彼の最初の10年。僕はなるべく近くでその成長をつぶさに見守った。父親という前に、人としての不完全さを、子育てを通して甘苦く知る10年だっとも言える。そしてそれは振り返る場合が大抵そういうものだ、ということを抜きにして、輝かしい10年だったと思う。その間、僕は仕事を脇に置き、つまり一般的な意味での創作活動を軽めにして、彼のそばに立っていた。それはなんとも形容しがたい期間で、一番しっくりくるのは、ただぼんやりと立っていた、という言い方だろう。一応大人といわれる年齢の者が、10年もぼんやりとしているのだから、ある意味たいしたものだとも思うのだが、僕の不感が最大限発揮されたのかもしれない。ある阿呆の10年とはへりくだり過ぎかもしれないが、ぼんやりとしていた僕は、なんとなく幸せで、そしてなんとなく不安でもあった。僕は時代にぶら下がり仕事と呼ばれるようなものを重ねてきたわけだが、それをうっちゃるようにして求めていたものは、なんだったのか。こうして冷静に想いを伸ばしても、よくわからないのだ。ただ龍之介が身長を伸ばし、体重を増やし、言葉を学び、自分の心を持つという変化を通して、僕はそれをただ眺めていたかったのだと思う。人生の一時期、子供をぼんやりと眺める時間というのは、豊かで不安で、そしてやはり美しいのだと思う。さて次の10年、僕はそろそろ動こうと思う。知らない場所がたっぷり残されているのだから。

    久保憲司「スキゾマニア」

    2017.01.26 Thursday

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    SONY α6300 SEL 24F18Z

    写真家・ロックジャーナリストの旧友久保憲司さんの最新小説集を一息で読み終えた。久しぶりにただただ楽しい読書だった。パンク、レイヴ、フェス、デモを歩き、踊り、キメてきた久保さんの文体は、いつもながら軽妙で、なんというかリズムを感じる文章の有様は、もはや素晴らしい芸域さえも感じさせるもので、いや、ほんとうに楽しい。同世代ということもあって、彼の見てきた風景を、自分のそれそのもののように感じる瞬間は一度や二度ではなく、かといって単なる共感からの読書体験の楽しさではなくて、ああ、まずは読んでもらいたい。ここには新しい何かがたっぷりとあるのだから。個人的には、レイブの頃の話にぐいぐい読まされた。あの頃の記憶は、いつも夜ばかりで、汗びっしょりで踊っていたことをヒリヒリと思い出した。多くの仲間たちが四散してしまって、もはや動向も知らないが、その仲間たちの中には久保さんがいて、いつもニコニコしながら、パシャパシャと軽くシャッターを切っていたなあ。そうそうREMIXとう雑誌もあったけ。近々久保さんに会いに、京都へ行こう。「革命がしたい」彼のこの言葉は、とっておきたい。

    おひつでご飯

    2017.01.25 Wednesday

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    SONY α6300 SEL24F1.8Z

    炊事で好きな場面は、炊きあがったばかりの米をお櫃に移す時。常食している京都産の無農薬・無化学肥料のコシヒカリの香しい湯気を受けながら、しゃもじでいそいそと動作する時、ああなんとまともな、という気分に浸るのだ。生活とは手間をかける分だけしっかりとした輪郭を得る。流せば流れるような部分にも視線を配る。そこに立ち上がる輪郭の美しさに、一人にんまりすれば、手間をかける分だけにんまりが増えるというもの。口角をあげていこうと心が緩む。ま、なんとも昭和の女性作家の随筆的な文面になってしまったが、お櫃という、男の手から少し遠いところにある生活具だからか、僕の視線も幾分女性らしさを帯びた。裁縫用のハサミなども女性名詞っぽいし、一つ屋根の下にも、男性名詞、女性名詞が散在し、それらを異なる性の者が持つ時の新鮮さは、時に語られる価値があると思う。お櫃は、用途上の楽しさもあるが、その形も美しい。どこぞかの職人の手による曲線と細部の仕事の確かさは、それを手にし、生活を共のすることの豊かささえも感じさせてくれる。ちょっとお高い買い物だったような記憶があるが、お金には使いどころがある。さてこの小文、湯気の向こうにあるものを語って締めてもいいのだが、湯気そのものの美しさを見つめたい、ということに留めておく。

    アラーキーさん

    2017.01.24 Tuesday

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    使用カメラ不明

    荒木さんとは不思議と親しくお会いする縁がない。同世代の友人写真家の多くが通じているのに、たまたまというか縁がない。とはいえ、一方的には三度ほど見かけたりしている。その中でも印象的だったのは、新潮社に近いラーメン屋で荒木さんが四人掛けのテーブルに一人、食後になにやら考え事をしている風だった時のこと。大勢に囲まれた楽しい姿が荒木さんのイメージだが、あの時はたまたま一人だったのだろう、写真家は基本的に一人であるということを目撃したのだった。そして、その姿になぜか深く安堵したのも覚えている。ああ、そうか、荒木さんも一人なんだなあと、勝手に。この写真はちょうど同時期に荒木さんのポートレイトを確かSTUDIO VOICEに撮り下ろした時のものだ。20数年以上も前で、僕は25歳くらいなはず。VANSONの革パンに、エチオピアの十字架、タンクトップ、束ねたロン毛、レッドウイングの油っぽいブーツ、がに股、な僕とサスペンダーの荒木さんが一枚に収まっている。撮影している時、荒木さんの色付き眼鏡に僕の姿が映っていて、そのことをなんとなく荒木さんに伝えると、「いいねえ、それが写真だよ」的なことを言ってたっけ。撮影時に起こることは、きっとなんでも「いいねえ」なのだろう。僕もそう思う。昨年自分の個展でパリに滞在している時に、東洋美術館で掛かっていた荒木さんの写真展を観にいった。僕はラーメン屋さんで一人だった荒木さんと、僕の三脚の前に立っていた荒木さんを思い出した。でも、その時の僕のことは思い出さなかった。僕がロン毛で革パンを履いていたことなんて忘れていた。自分のことを置いてきぼりにすること。それを僕は写真と呼んでみたい。

    BIG MINI

    2017.01.23 Monday

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    konica bigmini

    90年代初期のクラブシーンの写真集を準備している。僕らの世代で東京の夜を遊んだ仲間達には、感涙写真集となるに違いないそれらには、朝の太陽の眩しさと果てしない夜の間に埋もれていた、僕たちのあの頃がしっかりと写っている。写真がなければ無かったのと同じことだ、とは写真家たちがよく使う言葉だが、僕たちには90年代初期のあの夜があったと後から来る人々に伝えられる一冊にしたい。現在、セレクト用のラフプリントをがっつり焼いている最中だが、その中に名機BIGMINIが写っていた。荒木さん、HIROMIXに愛用されて有名となったが、僕を含め愛用者はたっくさんいた。90年代初期のあの夜たちは、この名機によって残されている。僕の手の中には、BIGMINIのつるんとした感触とレンズがジジジと繰り出されるあの音や、そしてデジタルカメラにはない、ジュイイイという巻き上げ音が残っている。そして、あの小さいカメラを通して、出会った顔、顔、顔。そして音、音、音。写真がある。あの頃はある。

    1月のひまわり

    2017.01.22 Sunday

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    SIGMA sd Quattro H 35mm1.4f

    沖縄の中部では、1月から2月にかけて向日葵が見ごろとなる場所がある。僕の家の近所なので、毎年散歩がてらによく訪れる。今日はSIGMAの約5000万画素相当のsd QuattroHを相棒にでかけてみた。すでに見ごろの時を迎えた向日葵たちは、夕刻のせいか顔を西に向けていた。向日葵は夏の誕生日の頃に咲く花として思い入れがあるが、本当に好きなわけではない。最近ではバラの方に興味があって、佐藤奈々子さんが撮るバラの影響もあって、いつかバラの写真集を出したいと考えているくらいだ。だが、夕刻のバラは案外美しいのだった。昼間の順光をたっぷり受けたバラも良いのだが、夏休みの終わりを思わせる斜光の中の向日葵は、どこかノスタルジックであり、日本のというよりも、やはり南仏の少年時代に思いを馳せてしまうのだった。もちろん僕は千葉育ちなので南仏の少年時代などありはしない。南仏からもう少し広げて南欧と言い換えてもいいだろう。いずれにして、日本ではない遠い場所で過ごした夏の終わりを感じながら撮影した。帰ったらワインでも飲もうかなと思いながらシャッターを丁寧に切っていく。そして今年はまともにアルコールを飲んでいないことを思った。向日葵はアルコールなしでも揺れている。それでいいかな。