藤代冥砂ブログ2021-01-14T19:14:16+09:00JUGEM息子のパスポートhttp://meisablog.jugem.jp/?eid=137772017-07-27T11:16:16+09:002018-08-20T09:44:06Z2017-07-27T02:16:16Z
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5年振りに龍之介のパスポートを更新した。こうして写真を並べると成長が一目瞭然。親はこういう時に嬉しさと寂しさを併せ持つが、僕も例に漏れずであった。龍之介にパスポートをもたせて、台湾、タイ、ネパールへとバックパッカーしたことは、半生中で最も輝か...meisablog
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5年振りに龍之介のパスポートを更新した。こうして写真を並べると成長が一目瞭然。親はこういう時に嬉しさと寂しさを併せ持つが、僕も例に漏れずであった。龍之介にパスポートをもたせて、台湾、タイ、ネパールへとバックパッカーしたことは、半生中で最も輝かしい出来事だ。連れて行ったというのとはちょっと違って、付いてきてもらった印象の方が強い。子供とアジアを歩き回るという僕の20代の頃からの夢を叶えてもらったという感じだ。なので、まずは彼に礼を言いたい。ありがとう〜。さてさて、この真新しいパスポートは、龍之介を何処へと誘うのだろう。これも親の勝手な夢だが、早いところ、海外へ一人で気ままに旅してほしいものだ。インドの路地裏に迷い、イランのバザールで華やぎ、バリの海で夕陽を眺めてほしい。まあ、勝手な望みは、望むだけなら親の特権だろう。でもパスポートの要らない旅や冒険や発見もたっくさんある。それを書物のページの中からではなくて、靴やサンダルのソールを通して感じてほしい。ああ、これも親の勝手だなあ。さておき、龍之介とグアテマラの街角でバッタリ出くわす未来。その時彼の隣に可愛いセネガル人の彼女がいたら、一杯奢らせてもらうよ。
]]>夏雲、仰げば。http://meisablog.jugem.jp/?eid=137762017-07-18T07:50:28+09:002017-07-17T23:17:37Z2017-07-17T22:50:28Z
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夏になると雲ばかり撮っている。結構沢山撮っていて、だいたい縦位置で収めることが多い。なぜか?おそらく、肖像写真のつもりなのだろう。雲は流れ行くイメージが強いが、夏の入道は案外じっとしている。どっしりと構えた堂々とした巨体ならばこそ、惹かれて...meisablog
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夏になると雲ばかり撮っている。結構沢山撮っていて、だいたい縦位置で収めることが多い。なぜか?おそらく、肖像写真のつもりなのだろう。雲は流れ行くイメージが強いが、夏の入道は案外じっとしている。どっしりと構えた堂々とした巨体ならばこそ、惹かれてレンズを向けるのだ。流れないので、対峙できる。その素晴らしさに、ああ、雲になりたいとは言わずともも、かなりのトキメキと憧れを込めて、構図を整え、失礼ないよう気配りをして、収める。このような過程を経て出来た写真にいちいち自ら感動するのだが、人に見せると、期待するような賛辞は滅多に頂けない。力量不足を感じもするが、それ以前に人はさして興味がないことを察しもする。雲に。よく混同されるのだが、僕は空を撮っているでなく、雲を撮っている。自ずと空は極力画面に入れない。となると、写真は、白のモコモコばかりになる。そうなのだ、僕は水がモコモコに形を選んだ姿を偏愛しているのだ。偏愛ならば、私家版でもいいので、是が非とも写真集にこじつけたい。きっと心が彷徨う作品になるだろう。良いなあ。また、財布を太らせないやることが増えてしまう。因みに掲げた写真は、モコモコではない。
]]>シュノーケリングhttp://meisablog.jugem.jp/?eid=137752017-07-17T09:15:00+09:002017-07-17T01:09:55Z2017-07-17T00:15:00Z
OLYMPUS TG-4
久しぶりに息子とシュノーケリングに行った。とはいっても自宅から車で15分ほどのホームポイントへ。周囲に住宅街やダイビングショップが並ぶ場所だが、珊瑚が綺麗に見え、有名ポイントでもある。数年前に彼を連れて、タイにアイランドホッピング的...meisablog
OLYMPUS TG-4
久しぶりに息子とシュノーケリングに行った。とはいっても自宅から車で15分ほどのホームポイントへ。周囲に住宅街やダイビングショップが並ぶ場所だが、珊瑚が綺麗に見え、有名ポイントでもある。数年前に彼を連れて、タイにアイランドホッピング的なシュノーケリング旅をしたことがある。フィンは持参しなかったが、シュノーケルとマスクは自分たちのものを連れていった。なので、海は二人にとってとても身近であり、言ってしまえば公園みたいなものだ。そんな海なのだが、なぜかご無沙汰していて、今季初めてのシュノーケリングとなった。透明度こそ、離島に比べると劣るけれど、それでも十分満足出来る海であった。固有名詞に弱いので、名前を挙げられないのが残念だが、魚の種類も結構いたと思う。毒のあるものも中にはいて、とはいえ、カメラを持参していたので、ためらわずに寄って撮影したりと、楽しい時間であった。海から上がれば、アメリカ人向けの弁当を広げて、海を眺めながら食べる。また明日から忙しい日々が始まるのだが、一時の「永遠の夏」を楽しんだ。ああ、夏は、暑く、そして長く、そして青空は遠く高く。美しいものは、なぜ少しだけ悲しい気持ちにさせるのかなあ、などと冷たい水を水筒から飲みながら、思うのであった。僕の心の中には、悲しみがいつもちょっとだけあって、本当に美しいものだけが、それをひょいとつまみ上げてくれるからなのだろう、などとスプーンでマカロニを口に運びながら思うのであった。幸福な午後であった。]]>免許更新http://meisablog.jugem.jp/?eid=137742017-07-13T09:15:08+09:002017-07-13T00:31:11Z2017-07-13T00:15:08Z
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ほぼ誰もが受けることになる講習である。開始30分前である。新免許の受け取りは14:30とあるが、いつも早めにもらえるものだったか?まあ、眠いのである。視力検査では、明らかに霞んで見えずらくなっていた。すでに本籍は沖縄にあるが、手続きが未だだったこと...meisablog
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ほぼ誰もが受けることになる講習である。開始30分前である。新免許の受け取りは14:30とあるが、いつも早めにもらえるものだったか?まあ、眠いのである。視力検査では、明らかに霞んで見えずらくなっていた。すでに本籍は沖縄にあるが、手続きが未だだったことも知った。交通教本とプリントを受け取り、着席しているが、ああ眠い。学生時代も教室ではいつもこうだった。年齢もまちまちな受講仲間達も同様だが、中にはシャキッとしている者もいる。学生時代にもそういう冴え者がおったわいと回想する。だが、この雰囲気は少しノスタルジックな気分にさせてくれるので、悪く無いなあ〜などとぼんやり思う。学生時代は、今の自分がこんなになっているとは思わなかった。外国に住んでいるのだろうと想像していたが、日本に居るのは何処で間違えたか。まあ、そんなことを思い流していると、講習仲間も徐々に増えている。講師が、机周りの整理なぞしだした。あの職も良いなあと思う。とてもフラットで安定感がある。何処ぞかの国で日本語教師でも晩年はしようかと夢見るが、無いかな。さてさて、沖縄の夏のある1日は、こうしてゆっくりと持ち上がるのだ。br />
]]>書くことについてhttp://meisablog.jugem.jp/?eid=137732017-07-09T09:36:00+09:002017-07-09T02:04:35Z2017-07-09T00:36:00Z
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8月に撮影する短編映画の脚本を、高雄滞在中の合間に書き終えた。どんな話にしようかな、と高雄の街を歩き、眺め、感じながら、3時間ほどで、えいやあ、と書き終えた。ざっくり言えば恋愛映画である。アクションも特撮もないし、話も淡々としているので、...meisablog
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8月に撮影する短編映画の脚本を、高雄滞在中の合間に書き終えた。どんな話にしようかな、と高雄の街を歩き、眺め、感じながら、3時間ほどで、えいやあ、と書き終えた。ざっくり言えば恋愛映画である。アクションも特撮もないし、話も淡々としているので、結構地味な映画になりそうなのだが、らしいといえばそうなので、まあいいかなと思っている。ちょうどホテルの一角に程よいスペースがあったので、そこを使わせていただいた。寛ぐにも緊張を持続するのにも、何か足りないいい塩梅な場所であった。そこでカツカツとキーボートを叩いて終えたのだ。といったところで、ふと、書くってなんだろうなという疑問みたいなものが浮かんできたのである。心の中をさらけ出すとかでもないし、職業だからというのでもないし、書かずにはいられないというのでもない。結果、なんとなく書いているというのが、今朝の気分にはちょうど合っている。書くことについて、と書き出して、ただなんとなく、とは情けない感じだが、もうちょっと出そうで出てこないので仕方がない。自分をフォローするのなら、書かない人には、この「なんとなく」が無いからなんじゃないかな、と思う。なんとなく、は立派な理由なんじゃないかと、僕は開き直っているのである。なんとなく、は書くことばかりではない。撮ることも、なんとなくだし、大きなことに触れるなら、生きることも、愛することも、なんとなくなのである。これは情けない話なのだろうか。不謹慎なのだろうか。映画ができたら、おそらく意図とかを答えなくてはいけないこともあるだろう。なんとなく、というのは時に失礼な返事になるかもしれない。誠意をこめて本当のことを言おうと今から、なんとなく思っている。
]]>自動販売機のある風景http://meisablog.jugem.jp/?eid=137722017-07-05T13:44:00+09:002017-07-05T05:08:38Z2017-07-05T04:44:00Z
30度をゆうに超える暑い中を運転していて、信号で止まった。左手を見やると、古そうな黄色い自動販売機がある。フロントガラスになんやらかんやらが反射しているのだが、その販売機だけがやけに主張でもしているように印象的である。そういえば、小学低学年の頃の思...meisablog
30度をゆうに超える暑い中を運転していて、信号で止まった。左手を見やると、古そうな黄色い自動販売機がある。フロントガラスになんやらかんやらが反射しているのだが、その販売機だけがやけに主張でもしているように印象的である。そういえば、小学低学年の頃の思い出のいくつかは、自動販売機がらみである。記憶の節々に、黄や青や赤の自動販売機があって、僕はやたらと無駄に歩き巡る子供だったから、道行けばその脇にはそれらがぽつりぽつりとあって、喉は渇いているのに、ポケットの小銭が足らなくて、眩しく見つめながら通り過ぎた記憶だけが、思い出すまでもなく、心の縁にこびりついて落ちないでいる。あの少年の頃の憧れが、ふとした拍子に出てくる時があるのであろう。目の前に見えている古びた販売機の前を、今にも少年時分の僕がうらめしそうに通り過ぎていくようだ。硬貨が機械の奥の方に落ちていく音、ボタンを押してから少し間があって、やはり奥のほうでガシャガシャンと鳴り、ゴロゴロリンと缶ジュースが手前に出てくる。その時の気持ち。少年の頃から無数に重なっていく経験とやらにもめげずに、受け取り口から、缶を引き出す時の感触は今でも覚えている。たまに釣り銭忘れを見つけて喜んだり、機械の故障か、押せばいくらでも缶が出てくることがあったり、当たり付きの機械があったり、その頃は250mlのスチール缶ばかりだったことを思い出したりしながら、暑さの中で幻のように揺れて見える黄色い自販機を見ているのであった。やがて信号は青に変わる。僕は少年時代に手を振るかのようにして、その場を去った。夏は思い出の影もが濃く見える頃だろうか。
]]>始発便で帰るhttp://meisablog.jugem.jp/?eid=137712017-07-02T06:02:36+09:002017-07-01T21:32:38Z2017-07-01T21:02:36Z
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羽田にて05:58。昨夜米子から到着し、一夜を空港近くのホテルで明かし、始発便で沖縄へと向かう。久しぶりの帰宅で、三週間は空いただろうか。東京、名古屋、京都、神戸元町、姫路、大阪、米子と、訪れた土地を数えては、相変わらずの移動生活だなと思う。写真...meisablog
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羽田にて05:58。昨夜米子から到着し、一夜を空港近くのホテルで明かし、始発便で沖縄へと向かう。久しぶりの帰宅で、三週間は空いただろうか。東京、名古屋、京都、神戸元町、姫路、大阪、米子と、訪れた土地を数えては、相変わらずの移動生活だなと思う。写真撮影、写真展開催、詩の朗読、エッセイ執筆、瞑想インストラクター、テレビの演者と仕事も様々で、気持ちは苦笑の向こうへと抜けて久しい。なるようになればいいと他人事のようである。自分を見つめない性分がこれを成させているのだろう。もはや自分の今現在の場所が住処であり、事務所である。僕が移動するというより、それらが移動しているのだ。さて、ともかく今日は沖縄へと向かう。空港からは、東京の街が遠くに見えている。スカイツリーや東京タワーがある。友人たちはまだ眠っているだろう。彼らが夢を見ているうちに、そっと去るような心地は悪くない。梅雨の開けた島へ。そこでの滞在は僅か三泊。その後はさらに南へと向かう。52番ゲートからANA461便が搭乗を促し始めた。読書を楽しみながら寝落ちするまで間もなくだ。身体は飛ぶに任せるが、心はいつもどこかに着地しているなと思いかけて、放っておく。
]]>中原昌也展http://meisablog.jugem.jp/?eid=137702017-06-30T06:14:00+09:002017-06-29T21:30:20Z2017-06-29T21:14:00Z
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終了間際に中原昌也展へ行った。運良くご本人もいて少し話しができて良かった。彼の作品をしっかり見るのは初めてで、当日ふと気づいて、見逃してはまずいのではと、吸い込まれるように赴いた。古いビルの階段をトコトコトンと軽快に登ると盛況の中に大小の作...meisablog
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終了間際に中原昌也展へ行った。運良くご本人もいて少し話しができて良かった。彼の作品をしっかり見るのは初めてで、当日ふと気づいて、見逃してはまずいのではと、吸い込まれるように赴いた。古いビルの階段をトコトコトンと軽快に登ると盛況の中に大小の作品とやりかけの作品があった。彼の作品は、思いがけずチャーミングだった。理科の実験室に居残って実験器具でふざけている子供のような手触りがあった。こういう仲間がいたなあと、少し追憶のムードに浸った。チャーミングなのに、確実にその気にさせるエロは、貴重に思えた。細部が充実しているので、流して見れない。結果僕にしては珍しく検証するような視線を1点ずつに費やすことになった。なんと、愉快な作品たちだろう。ダークとエロが表面にあるが、本質にあるふざけが、唯一無二の明るさを放っているのだった。あゝ、こういう明るさってあるんだなと感心して見つめていた。行けてよかった。ラッキー。]]>血管地下通路http://meisablog.jugem.jp/?eid=137692017-06-26T11:04:13+09:002017-06-26T02:16:26Z2017-06-26T02:04:13Z
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銀座線田原町のホーム間をつなぐ通路で写真を撮った。撮ったのだから、何かがあるのだろう。都市論は柄ではないのでやめとくが、血管のようだな、と見つめた。凡庸な視線と感想である。そしてお決まりのように、綺麗だなと思った。偶然とか無作為だとか、それ...meisablog
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銀座線田原町のホーム間をつなぐ通路で写真を撮った。撮ったのだから、何かがあるのだろう。都市論は柄ではないのでやめとくが、血管のようだな、と見つめた。凡庸な視線と感想である。そしてお決まりのように、綺麗だなと思った。偶然とか無作為だとか、それで語るのは鈍臭い。美は時に口角に唾を寄せすぎる。黙って通過させれば良いぞな。通路の上は線路である。世界の終わりには、この造形も消えるのだな、とちょっと変なことを思う。三味線のじゃらじやらんという音が似合いそうだなとか思う。ここで写真展をやったらいいなと思う。管と管との間に無数のヌードを置こうか。その時は誰かが本気を出すのだろう。人間の芸術がラスコーの壁画の時代から全て消えてしまえば、美しいなと思った。
]]>詩の朗読会http://meisablog.jugem.jp/?eid=137682017-06-25T07:55:48+09:002017-06-24T23:09:46Z2017-06-24T22:55:48Z
初めて詩の朗読会を開いた。三宿にあるBAR725にて。17時と20時の二部構成。全て自作のみで構成した。無名の詩人のために集まって下さった方々には感謝の言葉しかない。BARなので、聴衆はお酒を飲みながらとなったが、それが詩人の助けとなってくれた様だ。夕陽の差す穏...meisablog
初めて詩の朗読会を開いた。三宿にあるBAR725にて。17時と20時の二部構成。全て自作のみで構成した。無名の詩人のために集まって下さった方々には感謝の言葉しかない。BARなので、聴衆はお酒を飲みながらとなったが、それが詩人の助けとなってくれた様だ。夕陽の差す穏やかな時間の中で、何よりも僕が楽しませていただいた。詩は音になるべきだと改めて思った。開演前直前に作った詩も6編。ライブ感があって良かったと思う。20時の回はさらに夜な詩を、色っぽい詩を少し読んだ。こちらもまた心地よい時間で、赤ワインを詩人も口にしながらという回だった。詩を読むことは楽しい。店の主人と相談して定例化することと相成った。次回は八月に!
]]>写真展と映画http://meisablog.jugem.jp/?eid=137672017-06-22T16:32:13+09:002017-06-22T10:05:38Z2017-06-22T07:32:13Z
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話題のソール・ライター展に行って来た。作品も良いのであるが、一線からすっと去り、好きなことをやり続けたライフストーリーにも、そして彼の写真への言葉にも賛辞が向けられているようだ。どちらも素敵だと思うし、日本の俳人のような佇まいを持つ作風にも...meisablog
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話題のソール・ライター展に行って来た。作品も良いのであるが、一線からすっと去り、好きなことをやり続けたライフストーリーにも、そして彼の写真への言葉にも賛辞が向けられているようだ。どちらも素敵だと思うし、日本の俳人のような佇まいを持つ作風にも好感が持てた。どう生きたか、と、何を作ったかが離れていない信頼感は、老けた印象になりやすいが、そうでなかったのには、興味深かった。いつものようにポストカード1枚だけを求めて退去。その直後にウォン?カーウァイの花様年華のリバイバルへ。こんな内容だったかな、と初めて見るかのように楽しめたのは良かった。男と女を先を急がずに描くのは、僕の現実感とは違う恋の揺らぎと諦念があって、途中寝てしまったのに、しっかりと余韻が残った。恋はそのものとして仄かに死臭があるのだな。その死に捕まる時に恋は終わるのだ。だから恋する者はいつも何かから逃げている。若いうちは体力で、老いれば思考を頼るが、ジリ貧の体力を結局は削って。ラストシーンが眩しくて美しかった。
]]>2冊目のZINEhttp://meisablog.jugem.jp/?eid=137662017-06-21T07:47:00+09:002017-06-20T23:11:08Z2017-06-20T22:47:00Z
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少部数での自主制作出版物がZINE(ジン)と呼ばれることが、すっかり定着しているが、最初は読み方もよく分からなかった。楽しそうだなと思いつつも、先送りしていたのに、今年はwisteria01に続いて2冊目を刊行することになった。今作は、「HIGASHINAKANO....meisablog
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少部数での自主制作出版物がZINE(ジン)と呼ばれることが、すっかり定着しているが、最初は読み方もよく分からなかった。楽しそうだなと思いつつも、先送りしていたのに、今年はwisteria01に続いて2冊目を刊行することになった。今作は、「HIGASHINAKANO.NON MEISA FUJISHIRO」とうタイトルになっていて、女優ののんさんを主演に迎えたアパート写真展「東中野」の図録的なものとしてA5版36ページの一冊を作った。ZINEというものの性格上、なんでも自分でやる方が個性がしっかりと伝わるだろうと考えて、今回初めてアートディレクションも試みた。結果は大満足で、これから出版する僕の本は、大方セルフアートディレクションで行こうかな、などと勇み足が出るほどである。あいにく、この一冊は展覧会場での限定販売なので、一般の方の目に触れる機会が少ないのが残念であるが、まあ、それもZINEということだ。少部数自主制作本なのに、のんさんが出ている、ということ自体のギャップも面白い。今年3冊目はWISTERIA 02として全く別の物を出そうかななどとも企画しているので、好事家の皆さんには是非期待してお待ちいただきたい。内容は全く違うが、写真と詩のZINEという主性格は変わらないと思う。このようにして、1冊ずつ、小さな分身が増えていくのは、蒐集のようで、楽しい。外に対象を求めて集めるのとは違い、自分で作ったものを自分で集めているような感覚。リトルプレスという別名のリトルという感じもいい。スモールではなくて、リトル。語感のことなのだが、それは一歩一歩づつ進む感じがする。さてまずは、イラストレイターやインデザインを学ぼう。
]]>猟犬トラとハナhttp://meisablog.jugem.jp/?eid=137652017-06-19T05:48:48+09:002017-06-18T23:09:18Z2017-06-18T20:48:48Z
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トラとハナ。三重で出会った猟犬の二頭である。犬種は、特にない。俗にいう雑種である。毛艶、筋肉の張り、目の輝き、はち切れんばかりのエネルギーを漲らせた姿は、愛玩犬とは別種の生き物であるかのようである。実際散歩に同行すると、持ち主が管理する山野...meisablog
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トラとハナ。三重で出会った猟犬の二頭である。犬種は、特にない。俗にいう雑種である。毛艶、筋肉の張り、目の輝き、はち切れんばかりのエネルギーを漲らせた姿は、愛玩犬とは別種の生き物であるかのようである。実際散歩に同行すると、持ち主が管理する山野を飛ぶように駆けていく姿は、人間のパートナーとしての従順さと野性味との双方を見せ、犬とはかくも美しいものだったかと目を開かせた。虎毛の牡犬トラは一歳時に猪との衝突によって首筋を大きく裂かれたにも関わらず、今でも猪を恐れないという。主人の言うように、本能というのは凄いものだとトラの普段は優しいその目を見て思う。散歩中も時々鼻を空に向けてヒクヒクさせて嗅ぎ、周囲への注意を怠らない。ハナはといえば、紀州犬の血が混ざっているであろう容姿の美しさそのままに、しなやかに山中を駆け巡る。呼びかけると藪から一直線に戻ってくるその健気さに思いがけず目頭が熱くなる。犬はいいものだな、こういう本来の環境で生まれる信頼関係は1つの理想だな、などと思いつつ三重の山中を歩いた。二頭の猟犬の姿は一夜明けてなお、僕の心中を疾走しているのだが、さてどうしたものか。オオカミという神に繋がる犬の血を思えば、僕の犬への憧れは、そのままオオカミへの畏怖でもある。彼らに接することは、さらには山の神に繋がってもいく。トラとハナの姿にしばし入り、山野を僕は疾走する。神が側にいるのを感じ、己が神であるかのようにも感じ、僕はその高揚感のまま始発の近鉄名古屋線に乗っている。目的地のホームに立つ時には、尻尾を隠そう。
]]>名古屋立ち寄りhttp://meisablog.jugem.jp/?eid=137642017-06-17T09:31:00+09:002017-06-17T00:48:29Z2017-06-17T00:31:00Z
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三重の津に東京から向かう途中で、新幹線を降りたついでに名古屋を歩いた。大須観音の名を地図で見つけ、なんの思いもないままに地下鉄を乗り継いで訪れた。こういう時は結構当たりが多く、自分の勘の良さを一人で噛み締めたりするのだが、今回ばかりはそう...meisablog
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三重の津に東京から向かう途中で、新幹線を降りたついでに名古屋を歩いた。大須観音の名を地図で見つけ、なんの思いもないままに地下鉄を乗り継いで訪れた。こういう時は結構当たりが多く、自分の勘の良さを一人で噛み締めたりするのだが、今回ばかりはそうはならなかった。幽玄深谷にある神社仏閣ばかりでなく、街中のそれらにも興味津々なのだが、こればかりは相性というか出会い無くしては、昂らないので仕方ない。気をとりなおして、脇にある門前町の商店街などを覗きつつ、ういろうを味見したり、鰻屋の暖簾をくぐりかけたり、古着屋の店先に架かる着物などを通り過ぎながら、わずか一時間強の名古屋立ち寄りとなった。名古屋というのは、大阪京都と東京の間にあって、要所である。天下人を排出した地としても、その他さまざまな僕の未知の何かを世に送り出して来た土地であろう。土地の気を深呼吸などして感じるに、大きな平原のような懐の広さを得た。ここに遷都すればいいのにな、とあまりにも漠然とした思いと共に、ありふれたものでない懐きを持った。ひょっとして名古屋という土地は、もっと重んじられていい場所ではないかと。地下鉄を伏見で乗り継ぐ時に、そのホームのくたびれ具合は、東欧のようでもあり、ちょっとした大陸感があった。再び名古屋駅に戻り、近鉄線へと足先を繋いだ。尾張。そんな古い名をつぶやくと、もっとここを知ろうかなと思った。何かテーマを持参して、一週間ばかり滞在してみたい。ちょっと古い話だが、チャラのツアーに同行した時に、彼女が櫃まぶしを食べていたことをふと思い出しながら。
]]>銭湯の思い出http://meisablog.jugem.jp/?eid=137632017-06-16T11:46:58+09:002017-06-16T03:08:43Z2017-06-16T02:46:58Z
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母方の祖父母の家には風呂が無かったから、夜は連れられて銭湯へ通った。下総中山の何処かにあったが、今もあるかは分からない。黄色いケロヨンの洗面器が床に転がる時の反響音はまだ耳に残っているし、大きな体重計や、瓶入りのコーヒー牛乳やフルーツ牛乳の...meisablog
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母方の祖父母の家には風呂が無かったから、夜は連れられて銭湯へ通った。下総中山の何処かにあったが、今もあるかは分からない。黄色いケロヨンの洗面器が床に転がる時の反響音はまだ耳に残っているし、大きな体重計や、瓶入りのコーヒー牛乳やフルーツ牛乳の味も覚えている。大人たちの裸に混じって、ぬるい浴槽と熱いそれとを行き来したり、高い天井を眺めたり。あまたの幼き日の思い出にあって、銭湯は石鹸の匂いと共に優しく残っている。耳の裏まで丁寧に洗う未就学児の僕を見て、「教わらなくても、そういうことができるんだねえ」と皺の寄った声で褒めてくれたことを覚えているのは何故か。きっと僕は褒められるのが好きだったのだろう。その一番古い記憶が銭湯での祖母の言葉である。浅草の夜道でふと通りかかった立派な銭湯。その前には自転車が数台ある。火照った体を冷ましながら、自転車の上で受ける風の心地よさよ。僕は他人の豊かな時を思い浮かべ、コーヒー牛乳の味を口の中に広げた。昨夜のことである。今僕は、新幹線に揺られて西へと向かっている。静岡からは、案外な人数が乗って来た。この街の銭湯には、祖母に連れられた少年が耳の裏を洗っているだろうか。
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