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2017.07.27 Thursday

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    春の花火

    2017.04.12 Wednesday

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      一昨日、宜野湾で花火大会があった。行こうと思いつつも忘れていたのだが、遠くに上がる音に気付いて庭に出てみると、手に乗る大きさの花火があった。日中は25度に気温もあがり、春を過ぎて初夏を迎えたような沖縄の夜。風はさすがに肌寒かったが、遠くの花火は季節外れを思わせはしなかった。そういえば、沖縄に移った年に、日本で一番早い花火大会があると誘われて、芝生の上に座って見上げていた。あれも同じ花火大会であった。打ち上げられ、上空で弾ける。その繰り返しを、漠然と見つめていた。ぼんやりではなくて、漠然という言葉がはまっていた夜であった。漠然と去りし土地と人々を思っていた。僕は6年前の花火と今目の前の花火を交互に眺めながら、過ぎ行く時のあっけなさに、花火のそれをも重ねていた。宜野湾に上がる火の玉は、幾重にも重なりながら、見るものの記憶や想いも重ねながら、あっけなく消えていく。遠くで見れば、光に遅れて音がやってくる。花火というのは、重なりであり、ずれであり、そして消えること。それはあまりにも、誰かと暮らすこと、生きていくことと同じだ。僕は一人のままでいたくはない、と思う。孤独、孤高を、表札にしたり、内緒にしたり、それぞれに手にしながら生きているとしても、僕は自らの孤独を威張ることはしないだろう。生まれて消えていく時は誰もが一人で事を成す、それを威張ることと同じだから。なかなか上手にはなれないが、僕は誰かとやっていくことを諦めないでいこうと思う。今年は久しぶりに逗子の花火大会を見にいこうかな。

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      2017.07.27 Thursday

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