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2018.08.20 Monday

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    ブロッコリー落下

    2017.05.27 Saturday

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      ブロッコリーが落ちていた。ロケハンで歩いていた東中野の路上にて。同行者たちも、ああーだの、あれえだの声こそあげるが誰も拾わない。美味そうないいブロッコリーだ、とまで言う者も結局は拾わない。かく言う僕も通り過ぎた。ラッキー!と思うには、中途半端な落し物で、これが食べ物ではなければ、異なる反応になった。そもそも落し物とは不吉である。持ち主の息吹がかかった何かしらの物は、気配が残っている。売買という貨幣によるエネルギー交換によって、瞬時に買い手の一部になった物には、まあ念がこもっていて、件のブロッコリーにさえもそれはあった。では、念や想いが不吉なのかといえば、そうではない。捨てられた、主人から千切られた物が、行き場を失うと、元に戻ろうと欲する無念さが、悲しみを持って不吉に映るのだ。だがそれらの物体が無念を露出しているのでもない。物体はゼロである。それを見る者の心中の無念が、捨てられた者の形を借りて表出したという事だ。僕たちは全て羊水から出されてしまった者たちである。その時の無念が、時々疼くのだ。
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