息子のパスポート

2017.07.27 Thursday

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    5年振りに龍之介のパスポートを更新した。こうして写真を並べると成長が一目瞭然。親はこういう時に嬉しさと寂しさを併せ持つが、僕も例に漏れずであった。龍之介にパスポートをもたせて、台湾、タイ、ネパールへとバックパッカーしたことは、半生中で最も輝かしい出来事だ。連れて行ったというのとはちょっと違って、付いてきてもらった印象の方が強い。子供とアジアを歩き回るという僕の20代の頃からの夢を叶えてもらったという感じだ。なので、まずは彼に礼を言いたい。ありがとう〜。さてさて、この真新しいパスポートは、龍之介を何処へと誘うのだろう。これも親の勝手な夢だが、早いところ、海外へ一人で気ままに旅してほしいものだ。インドの路地裏に迷い、イランのバザールで華やぎ、バリの海で夕陽を眺めてほしい。まあ、勝手な望みは、望むだけなら親の特権だろう。でもパスポートの要らない旅や冒険や発見もたっくさんある。それを書物のページの中からではなくて、靴やサンダルのソールを通して感じてほしい。ああ、これも親の勝手だなあ。さておき、龍之介とグアテマラの街角でバッタリ出くわす未来。その時彼の隣に可愛いセネガル人の彼女がいたら、一杯奢らせてもらうよ。

    夏雲、仰げば。

    2017.07.18 Tuesday

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      夏になると雲ばかり撮っている。結構沢山撮っていて、だいたい縦位置で収めることが多い。なぜか?おそらく、肖像写真のつもりなのだろう。雲は流れ行くイメージが強いが、夏の入道は案外じっとしている。どっしりと構えた堂々とした巨体ならばこそ、惹かれてレンズを向けるのだ。流れないので、対峙できる。その素晴らしさに、ああ、雲になりたいとは言わずともも、かなりのトキメキと憧れを込めて、構図を整え、失礼ないよう気配りをして、収める。このような過程を経て出来た写真にいちいち自ら感動するのだが、人に見せると、期待するような賛辞は滅多に頂けない。力量不足を感じもするが、それ以前に人はさして興味がないことを察しもする。雲に。よく混同されるのだが、僕は空を撮っているでなく、雲を撮っている。自ずと空は極力画面に入れない。となると、写真は、白のモコモコばかりになる。そうなのだ、僕は水がモコモコに形を選んだ姿を偏愛しているのだ。偏愛ならば、私家版でもいいので、是が非とも写真集にこじつけたい。きっと心が彷徨う作品になるだろう。良いなあ。また、財布を太らせないやることが増えてしまう。因みに掲げた写真は、モコモコではない。

      シュノーケリング

      2017.07.17 Monday

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        久しぶりに息子とシュノーケリングに行った。とはいっても自宅から車で15分ほどのホームポイントへ。周囲に住宅街やダイビングショップが並ぶ場所だが、珊瑚が綺麗に見え、有名ポイントでもある。数年前に彼を連れて、タイにアイランドホッピング的なシュノーケリング旅をしたことがある。フィンは持参しなかったが、シュノーケルとマスクは自分たちのものを連れていった。なので、海は二人にとってとても身近であり、言ってしまえば公園みたいなものだ。そんな海なのだが、なぜかご無沙汰していて、今季初めてのシュノーケリングとなった。透明度こそ、離島に比べると劣るけれど、それでも十分満足出来る海であった。固有名詞に弱いので、名前を挙げられないのが残念だが、魚の種類も結構いたと思う。毒のあるものも中にはいて、とはいえ、カメラを持参していたので、ためらわずに寄って撮影したりと、楽しい時間であった。海から上がれば、アメリカ人向けの弁当を広げて、海を眺めながら食べる。また明日から忙しい日々が始まるのだが、一時の「永遠の夏」を楽しんだ。ああ、夏は、暑く、そして長く、そして青空は遠く高く。美しいものは、なぜ少しだけ悲しい気持ちにさせるのかなあ、などと冷たい水を水筒から飲みながら、思うのであった。僕の心の中には、悲しみがいつもちょっとだけあって、本当に美しいものだけが、それをひょいとつまみ上げてくれるからなのだろう、などとスプーンでマカロニを口に運びながら思うのであった。幸福な午後であった。

        免許更新

        2017.07.13 Thursday

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          ほぼ誰もが受けることになる講習である。開始30分前である。新免許の受け取りは14:30とあるが、いつも早めにもらえるものだったか?まあ、眠いのである。視力検査では、明らかに霞んで見えずらくなっていた。すでに本籍は沖縄にあるが、手続きが未だだったことも知った。交通教本とプリントを受け取り、着席しているが、ああ眠い。学生時代も教室ではいつもこうだった。年齢もまちまちな受講仲間達も同様だが、中にはシャキッとしている者もいる。学生時代にもそういう冴え者がおったわいと回想する。だが、この雰囲気は少しノスタルジックな気分にさせてくれるので、悪く無いなあ〜などとぼんやり思う。学生時代は、今の自分がこんなになっているとは思わなかった。外国に住んでいるのだろうと想像していたが、日本に居るのは何処で間違えたか。まあ、そんなことを思い流していると、講習仲間も徐々に増えている。講師が、机周りの整理なぞしだした。あの職も良いなあと思う。とてもフラットで安定感がある。何処ぞかの国で日本語教師でも晩年はしようかと夢見るが、無いかな。さてさて、沖縄の夏のある1日は、こうしてゆっくりと持ち上がるのだ。br />

          書くことについて

          2017.07.09 Sunday

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            8月に撮影する短編映画の脚本を、高雄滞在中の合間に書き終えた。どんな話にしようかな、と高雄の街を歩き、眺め、感じながら、3時間ほどで、えいやあ、と書き終えた。ざっくり言えば恋愛映画である。アクションも特撮もないし、話も淡々としているので、結構地味な映画になりそうなのだが、らしいといえばそうなので、まあいいかなと思っている。ちょうどホテルの一角に程よいスペースがあったので、そこを使わせていただいた。寛ぐにも緊張を持続するのにも、何か足りないいい塩梅な場所であった。そこでカツカツとキーボートを叩いて終えたのだ。といったところで、ふと、書くってなんだろうなという疑問みたいなものが浮かんできたのである。心の中をさらけ出すとかでもないし、職業だからというのでもないし、書かずにはいられないというのでもない。結果、なんとなく書いているというのが、今朝の気分にはちょうど合っている。書くことについて、と書き出して、ただなんとなく、とは情けない感じだが、もうちょっと出そうで出てこないので仕方がない。自分をフォローするのなら、書かない人には、この「なんとなく」が無いからなんじゃないかな、と思う。なんとなく、は立派な理由なんじゃないかと、僕は開き直っているのである。なんとなく、は書くことばかりではない。撮ることも、なんとなくだし、大きなことに触れるなら、生きることも、愛することも、なんとなくなのである。これは情けない話なのだろうか。不謹慎なのだろうか。映画ができたら、おそらく意図とかを答えなくてはいけないこともあるだろう。なんとなく、というのは時に失礼な返事になるかもしれない。誠意をこめて本当のことを言おうと今から、なんとなく思っている。


            自動販売機のある風景

            2017.07.05 Wednesday

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              30度をゆうに超える暑い中を運転していて、信号で止まった。左手を見やると、古そうな黄色い自動販売機がある。フロントガラスになんやらかんやらが反射しているのだが、その販売機だけがやけに主張でもしているように印象的である。そういえば、小学低学年の頃の思い出のいくつかは、自動販売機がらみである。記憶の節々に、黄や青や赤の自動販売機があって、僕はやたらと無駄に歩き巡る子供だったから、道行けばその脇にはそれらがぽつりぽつりとあって、喉は渇いているのに、ポケットの小銭が足らなくて、眩しく見つめながら通り過ぎた記憶だけが、思い出すまでもなく、心の縁にこびりついて落ちないでいる。あの少年の頃の憧れが、ふとした拍子に出てくる時があるのであろう。目の前に見えている古びた販売機の前を、今にも少年時分の僕がうらめしそうに通り過ぎていくようだ。硬貨が機械の奥の方に落ちていく音、ボタンを押してから少し間があって、やはり奥のほうでガシャガシャンと鳴り、ゴロゴロリンと缶ジュースが手前に出てくる。その時の気持ち。少年の頃から無数に重なっていく経験とやらにもめげずに、受け取り口から、缶を引き出す時の感触は今でも覚えている。たまに釣り銭忘れを見つけて喜んだり、機械の故障か、押せばいくらでも缶が出てくることがあったり、当たり付きの機械があったり、その頃は250mlのスチール缶ばかりだったことを思い出したりしながら、暑さの中で幻のように揺れて見える黄色い自販機を見ているのであった。やがて信号は青に変わる。僕は少年時代に手を振るかのようにして、その場を去った。夏は思い出の影もが濃く見える頃だろうか。

              始発便で帰る

              2017.07.02 Sunday

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                羽田にて05:58。昨夜米子から到着し、一夜を空港近くのホテルで明かし、始発便で沖縄へと向かう。久しぶりの帰宅で、三週間は空いただろうか。東京、名古屋、京都、神戸元町、姫路、大阪、米子と、訪れた土地を数えては、相変わらずの移動生活だなと思う。写真撮影、写真展開催、詩の朗読、エッセイ執筆、瞑想インストラクター、テレビの演者と仕事も様々で、気持ちは苦笑の向こうへと抜けて久しい。なるようになればいいと他人事のようである。自分を見つめない性分がこれを成させているのだろう。もはや自分の今現在の場所が住処であり、事務所である。僕が移動するというより、それらが移動しているのだ。さて、ともかく今日は沖縄へと向かう。空港からは、東京の街が遠くに見えている。スカイツリーや東京タワーがある。友人たちはまだ眠っているだろう。彼らが夢を見ているうちに、そっと去るような心地は悪くない。梅雨の開けた島へ。そこでの滞在は僅か三泊。その後はさらに南へと向かう。52番ゲートからANA461便が搭乗を促し始めた。読書を楽しみながら寝落ちするまで間もなくだ。身体は飛ぶに任せるが、心はいつもどこかに着地しているなと思いかけて、放っておく。

                中原昌也展

                2017.06.30 Friday

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                  終了間際に中原昌也展へ行った。運良くご本人もいて少し話しができて良かった。彼の作品をしっかり見るのは初めてで、当日ふと気づいて、見逃してはまずいのではと、吸い込まれるように赴いた。古いビルの階段をトコトコトンと軽快に登ると盛況の中に大小の作品とやりかけの作品があった。彼の作品は、思いがけずチャーミングだった。理科の実験室に居残って実験器具でふざけている子供のような手触りがあった。こういう仲間がいたなあと、少し追憶のムードに浸った。チャーミングなのに、確実にその気にさせるエロは、貴重に思えた。細部が充実しているので、流して見れない。結果僕にしては珍しく検証するような視線を1点ずつに費やすことになった。なんと、愉快な作品たちだろう。ダークとエロが表面にあるが、本質にあるふざけが、唯一無二の明るさを放っているのだった。あゝ、こういう明るさってあるんだなと感心して見つめていた。行けてよかった。ラッキー。

                  血管地下通路

                  2017.06.26 Monday

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                    銀座線田原町のホーム間をつなぐ通路で写真を撮った。撮ったのだから、何かがあるのだろう。都市論は柄ではないのでやめとくが、血管のようだな、と見つめた。凡庸な視線と感想である。そしてお決まりのように、綺麗だなと思った。偶然とか無作為だとか、それで語るのは鈍臭い。美は時に口角に唾を寄せすぎる。黙って通過させれば良いぞな。通路の上は線路である。世界の終わりには、この造形も消えるのだな、とちょっと変なことを思う。三味線のじゃらじやらんという音が似合いそうだなとか思う。ここで写真展をやったらいいなと思う。管と管との間に無数のヌードを置こうか。その時は誰かが本気を出すのだろう。人間の芸術がラスコーの壁画の時代から全て消えてしまえば、美しいなと思った。

                    詩の朗読会

                    2017.06.25 Sunday

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                      初めて詩の朗読会を開いた。三宿にあるBAR725にて。17時と20時の二部構成。全て自作のみで構成した。無名の詩人のために集まって下さった方々には感謝の言葉しかない。BARなので、聴衆はお酒を飲みながらとなったが、それが詩人の助けとなってくれた様だ。夕陽の差す穏やかな時間の中で、何よりも僕が楽しませていただいた。詩は音になるべきだと改めて思った。開演前直前に作った詩も6編。ライブ感があって良かったと思う。20時の回はさらに夜な詩を、色っぽい詩を少し読んだ。こちらもまた心地よい時間で、赤ワインを詩人も口にしながらという回だった。詩を読むことは楽しい。店の主人と相談して定例化することと相成った。次回は八月に!