chisakiの帽子

2017.02.24 Friday

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    坊主頭になって、帽子は欠かせないものになった。夏は日差しが痛いし、冬はすうすうと寒い。キャップも好きなのだが、最近はハット型を被ることが多い。移動の多い僕にとって折りたためるchisakiのハットは重宝している。都合4つ持っているのだが、春夏用二つ、秋冬用二つのうち、一つを除いては折りたたみ可能で、スーツケースやバッグに無造作に入れても大丈夫なので助かっている。力が抜けているのにどこか凛とした品のあるスタイルが素敵で、被るとお洒落になったような気にさせてくれる。ちょっとした魔法のある帽子だ。今回の移動には、フェルト製の後方を折り返してあるものを友とした。少しだけ頭が高くなるのだが、不思議と顔が小さく見える。被るとヨーロッパの外れにある村の帽子のような、アジアの山岳民族のような、それでいて都会的な、境界を曖昧にしてしまう出で立ちとなる。そんなところが気に入っている。被ると、僕は今日も自由なのだ、と呟かせてくれるような、何かがある。著名人にもファンが多いのは、この被れば何かを与えられるような妙な力にあるのだと思う。海外の顧客も増えていると聞く。いつか外国の偶然居合わせた街の店で、いい帽子だなと手に取った時、ラベルにchisakiの文字を見つけるのだろうか。再会のような初対面を楽しみにしている。 http://www.chisaki.co.jp

    伊豆山神社の御守り

    2017.02.23 Thursday

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      数年前まで朱印帳を持参して神社仏閣を巡っていたが途中で飽き、御御影集めに切り替えたがそれにも飽き、今は何も買いはしていない。お守りも以前は何も考えずにひとつふたつ求めていたが、どれも一緒のように思えてからは買わない。ただ時には買う。その時の基準が、不敬ながらもデザインだ。熱海の伊豆山神社のお守りには一目惚れした。赤龍白龍が和合している姿の横に、「強運」の文字。もともとお守りにご利益を期待していないので、身につけて置きたいかどうかの基準は、デザインのみと言っていい。ほぼシルエットとなった二匹の龍の簡素ながらも力強い動きも良いし、唐突な感じがある強運も躊躇なく置かれていて惹かれる。完成度が高いのかといえば、そうでもないのだが、なんとなく良いと思えるものが僕は好きなのだ。よくデザインがうるさい、という言い方を聞くが、静かでもうるさくても、どちらでも良い。ただなんとなく気に入るかどうかが大切なのだ。で、そのお守りを800円出して求めた。お守りも好きなのだが、それを入れる白い袋も好きだ。茶ではだめで、白がよろしい。なんとなくね。そういえば、以前こちらに参拝した時にも同じ御守りを求めたことを思い出した。なんとなく、ってのは続くのだな。

      町田康さん

      2017.02.22 Wednesday

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        去年の夏以来、久しぶりに町田康さんを熱海に訪ねた。いつもの待ち合わせ場所の来宮駅に約束より少し早く現れた康さん。「おはようございます」とぼそりと言って、いつの間にか目の前にいた。康さんの運転する車に乗って、夏に訪れた場所をいくつか巡りながら、撮影をした。男が二人だけで、平日の昼間からぶらぶらしている姿は、観光や地元に人にとって、ちょとした違和感があったかもしれない。小さな漁港で大の字になったり、食堂のすみで刺身をつついたり、神社の裏山の木に登ったりと、時間にしては多くの場面を淡々と二人でこなしていった。僕が用意したイギリスのハットや、サンフランシスコのサングラスが良く似合い、その佇まいは詩人でありロックの人であり、もちろん小説家であった。最後には、康さんの仕事部屋での撮影となり、原稿を書いている姿、猫との関係、ギターを爪弾く姿などをおさえ、簡単なものではあるが動画も撮らせていただいた。康さんは「長崎は今日も雨だった」を口ずさみ、そのさりげない奥深さに、じんとした。最後は前回のように熱海駅へ送っていただき終了となったのだが、まだ日の残る駅前から消えていく康さんは、何かを残し何かを揉み消すような風でもあった。そもそも撮影のきっかけは、町田康を写真にたっぷりと残しておきたい、という思いつきだったのだが、そこには僕のそれがいつもそうである以上に、結構な重みがあって、しなければいけないことだったのだと思う。動画を交えてさらに厚みを増やして、近いうちに写真集にまとめたい。出版元はこれから探すのだが、きっとどこかが手を上げてくれるのではないかと楽観している。熱い海にて、頭と腰を低くして、お待ちしています。

        the north faceのバッグ

        2017.02.21 Tuesday

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          小田原駅のホームで愛用のバックパックをしばし眺める。色がいいなあと思う。確か去年の冬の入り口に買ったような。重い色になりがちな服装にあって、気分くらいは軽くしてくれるだろうと選んだに違いない。そしてPCがさっと取り出せる別口が使ってみるとやはり便利だった。空港の荷物検査でもささっと出てきてくれるのはかなりありがたい。ウエストベルトなども無く、作りはいたってミニマム。ノスタルジック過ぎる物を好まないので、さりげない細部に見えるエッジの効き方も地味に良い。都市での移動に求める要素が、必要最低限でまとまった逸品だと気に入っている。値段もそんなにしなかったはずだ。アウトドアブランド製品は機能的に出来ている反面、デザイン過多なものを多く、実際使わないベルトやポケットが備わっている。そういう中にあって、この簡素さはありそうでない。しばらくは使い込むことになりそうだ。いずれくたびれてしまうだろうから、予備に新品の色違いでも買っておこうかとも思うが、時がたてば好みは変わるので、ここは使い倒すとしよう。思えば、何よりも誰よりも共に居るのがこのバックだな、と思いつつ、しげしげと眺めれば、小田原の午前の光は過不足無く美しく、さあ行きましょう、とバッグが声をかけてくるのであった。君を背負うのは僕なんだけどね。

          津・中津軒講座

          2017.02.20 Monday

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            撮影 松原豊さん

            ここ数年トークイベントをすることが多い。月に数度と重なることもあり、ちょっと不思議な気持ちになる。もともと話すことは得意ではないのに、いったいどういうことか。なにごとも経験とはいえ、大勢の前で自分のことを話すことにいつも違和感を覚えながら壇上にいる。今回は三重県のひらのきかく舎さんによる中津軒講座にてお世話になった。テーマはヌードと聖で、去年出した2冊の写真集「sketches of tokyo」「あおあお」をもとに90分ほど語らせていただいた。事前に話すことを準備しなかったのは、いつものことで、その場に集まった人々の全体の雰囲気などに混じりながら、その場かぎりの言葉を喋ってみたい、という思いがあるからだ。もともと話すことは得意ではない自分にとって、それには曲芸の難しさもあるけれど、ふらふらしながらも、集った人々と交わせる何かの質は高いのではないかと踏んでいる。いや質が高いとは思い込みすぎだろう。ただ、生々しさを自分自身が感じていたいのだと思う。そして言葉が出てくること、言葉が詰まること、それら一切を見ていただきたいのだと思う。それが何になるのかは知らないが、僕にはそれがとても誠実なことのようにも思えるのだ。中津軒講座に集った方々は、押し並べて温かく、アウェイ好きの自分にもホームを錯覚させてくれた。三重という土地に感じる親しみはいったい何処からやって来たのだろう。これからも再訪を繰り返したい土地だ。そしてその時にいったいどんな言葉を思いつくのか。僕にとっての見ものである。

            三重の朔にて

            2017.02.19 Sunday

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              三重県の津に行く楽しみがまた一つ増えてしまった。友人の運転するSAABに揺られて村落から山道を入っていくと、長閑ながら厳しさを映す冬の森の入り口に、そのレストランは現れた。朔と書かれた看板の奥に小さな建物がぽつんとあって、その佇まいだけでそこが素晴らしい店であることを示していた。自然に胸が高鳴る。6人限定、11:30と13:15からの二回のみの昼営業の店。夜に営業しないのは、そこまでの道のりが細く、夜には暗すぎて、客の帰路が危ういとの判断から。この店のロケーションを説明するに足る配慮だ。料理はコースのみ。主人の作る端正は品々はあえて触れないでおこう。選りすぐりの地産地消産物、鹿や猪、冬季潅水不耕起栽培米、命をいただく、厳冬期は休業して大工仕事などに励む、などの言葉を置いてみるほどにとどめたい。山の斜面を眺めながらカウンター席でいただく料理は、出会いについて考えたくなるほどの豊かさだった。食べ物とは美しく、その美しさを体内の入れ、消化し、血肉にする喜びを感じる二時間なのだった。ため息をついて窓の外を眺めていると、ちょうど猿が斜面を降りてきた。主人はやれやれといった風で、畑の野菜を気遣った。鹿も多く出るという。訪れる人にとってはちょっとした楽しみでもあるのだが、住民にとっては厄介な動物たち。鹿は夏場の牡にのみ脂が乗るという。その貴重な素材を使った紅葉鍋をいただく。目を閉じる。小さなため息。束の間の訪問者にも、山の循環に入ったかのような錯覚を与えるその料理は、僕の心の血肉にもなって、味を忘れてしまった後でも、詩や写真などに形を変えて誰かに伝わるのだろう。

              冬の公園

              2017.02.18 Saturday

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                土曜日の朝、滞在中の三重県津市の住宅街を散歩した。見知らぬ土地での散歩はそれ自体で楽しいのだが、自分の住まない住宅地の公園を歩く時の、迷った心地がなんとも言えずに楽しい。そこの住人にとっての憩いの場所は、訪れるたびに彼らの思い出が更新されていくに違いないが、僕にはおそらく一期一会なものだ。レイヤーとモノ。同じ空間に異なる関係性があることに静かな興奮すら覚える。そして冬という硬質な季節。公園の全ては、存在を起立させているように強張り、植物はその本来の柔らかさを内に隠している。スティングの名作にwinter's taleというアルバムがあるが、あの寒々とした音楽に込められた品格の高さを心の聞きながら、冬の公園をしばらく歩くのは、とても豊かな時間だ。冬の公園というのは人も少なくて、それが朝ならばなおさらで、住宅地の中にあって、労働から離れた安らぎを静かに与えている。そして思索にふけるドイツの老詩人のようになれるのも楽しい。冬の公園を歩く。日々の楽しみは尽きることがないなあと、冷たい地面を踏みながら、一時のやわらかさを行く。

                飛行機に乗って

                2017.02.17 Friday

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                  年間50回以上も飛行機に乗る。空港や機内はすでに日常の一部になっていて、いつも楽しく使っている。昔はどちらかと言えば、苦手な乗り物だった。空を飛ぶことがなんとなく怖くて、移動のたびに命を預けている気になっていた。だがその辺もすでに鈍くなっていて、むしろ子供が乗り物に嬉々とする感じに近くなったのだ。特に空港という場所が今ではとても好きで、原稿も捗るし、多くの人々にとっての通過点も、僕にとっては心安らぐ止まり木になっている。少し余裕を持って到着した時には、ラウンジで新聞や雑誌をめくり、原稿書きや写真のセレクトなどの仕事を進め、滑走路や空を眺めては、息を抜き心を柔らかくほぐしている。僕はどこから来てどこへと行くのか、そんな若い物思いに浸ることもある。日頃の生活の香りと、仕事の昂まりの間にあって、程よく身も心も停滞させてくれる場所、それが空港だ。その空港のゲートから目的地を持った機体に乗り込み、指定されたシートに座り、移動に身を任せる。途中下車もない高度で食事をしたり、居眠りをしたり、本を読んだりして過ごすのだが、文字通りの宙ぶらりんな感じがいい。常に何かと繋がっている必要など毛頭ないと思う。むしろ時たま人や物事と繋がるくらいが僕には丁度良い。飛行機で移動していると、属さないこの性分に幾ばくかの安心を覚える。鉄の乗り物だが、僕には紙飛行機の類である。風向きと心向きでいくらでも方向を変えて上昇下降する。たとえ行先すらなくても、飛行は楽しいとも思う。

                  反射光

                  2017.02.16 Thursday

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                    滞在先のホテルのベッドでぼんやりしていると、壁の上の光の染みに気づいた。窓の外で何かに反射して日光が部屋の窓を通って入ってきているのだろう。僕は、それをしばらく眺めていた。細長い曲線となった宇宙からの光は、地球という惑星の日本という部分にあるホテルの一室の壁を終点として、その旅をひとまず閉じた。僕は常々対象を魅入る時、自分と入れ替えてしまう癖がある。僕は太陽を飛び出して、ホテルの壁までに見てきた風景、感じた風、温度を想像してみた。それはなんとも直線的な動きだった。自ら光となって、まっすぐに飛び続け、何かに当たって角度を変えて、壁に張り付いた。さらに僕はいつも実感しているのだが、何かと入れ替わる想像をした時、僕は別な物として、生きているのだと思う。たかが想像だと言われてしまうと返す言葉もないのだが、実感したことは、本当のことだと僕は信じている。オオカミやフクロウになる想像を森では、よくするのだが、その時の僕は、オオカミやフクロウなのだ。壁に張り付いていた光は、やがて太陽の動きと共に消えてしまった。僕は想像する。あの光は僕の眼球を通って、この体の細胞のどこかに今でも居座り、輝いているのだと。

                    ヤギの微笑み

                    2017.02.15 Wednesday

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                      バスケをしようと近所の小さな公園に行く途中で道を間違え、ヤギに出くわした。沖縄ではヤギなど珍しくないが、スマホを持って歩み寄ると、二頭のヤギは途端にせわしなく頭を上下させて、網の間で暴れ始めた。ああ、エサだなと思い、周囲にある柔らかそうな草を与えると、貪り食べた。かわいいものだ、と頭を撫でたり声をかけたりしていると、雰囲気が犬に似ていることに気づいた。もう何度も同じ思いを経験しているから、次は犬ではなくてヤギを飼おうかと思案をしていると、ヤギの住む敷地にポロポロとチョコボールのような糞が散乱しているのに目がいった。ヤギを飼うということは、庭でごろりと横になる時も気が気でなくなるのだな、と思い、しかし、草刈りの手間は省けるな、とも思い、天秤に掛けてしまうのだった。メリットデメリットなどというのはヤギの語感に合わないななどと思いを脇道にそらしつつ、では写真でも撮ってみようかとスマホでカシャカシャやり始めると、ヤギはいたって素っ気ない。カメラ慣れしているのか、そもそも全く気にならないのかが、分からない。動物の写真は、かつて旭山動物園写真集なるものを作っただけに、自信があったが、どうも目の前のヤギとは波長が合わないのか、うまく撮れない。こんなはずではと本気を出そうとしたら、その圧を暑苦しく感じたのか、素敵な微笑みをちょこっとだけくれた。もちろん当方プロである。それを撮り逃すことはなかった。もちろん微笑み感知モード的なのは不使用である。写真はまあまあだが、こういう微笑みをするじいさんになりたいかといえば、そうでもない。